久留米大学特任教授 古賀幸久 の考える、これからの生き方論。
天草五橋より
このサイトの著者
古賀 幸久
(こが ゆきひさ)
1952年11月25日熊本県上天草市生まれ
西南学院大学法学研究科修士課程卒業
元外交官。
1992年から久留米大学法学部で教鞭を執る。専門は国際法、イスラム国際法、中近東地域研究。
2018年ブラジルプロポリス貿易会社バザールK to設立。
古賀ブログ#32『教養とは何か』を公開しました。(2021/8/27)
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楽しく生きるための生活とは

簡単な1つの質問

 社会は混沌と矛盾に満ちています。これまでそうであったように、これからも同じような混沌と矛盾の社会の中で人は生きていくことになると思います。しかし、例えそうではあっても、私たちは自らの意識で少しずつ生きる質を良くしていくことが可能だと思います。その質は経済的な生活の面だけでなく、文化的・精神的な生活の面においてもいえることです。
 さて、それではここで、まず、経済的な面においてどのようにすれば生活の質を高めていくことが出来るかを考えてみたいと思います。それは同時に、この混乱と矛盾に満ちた社会を人はどのように生き抜けるかということについてのひとつの答えにもなると言えます。

 あなたが次の簡単な1つの質問に答え、その解答の理由を読み終えたときには、人が「仕事をして、お金を得て、それを使って生活し、楽しむこと」の日常的な生活の意味がある程度実感できると思います。
※ここでの話の前提は、人の日常の経済的な生活に関わる問題に限定しています。


<質問>
 Aさんは人々が生活必需品に満たされ、物質的に成熟している社会に生きています。化粧品の生産・販売を生業としているAさんも、今、ゆとりのある生活(生活必需品に満たされている生活)をしているとします。
 さて、Aさんがあるお店に行き、地元の職人が作った優良な工芸品を見つけました。Aさんは生活するには必要な物ではないけれど、これがとても欲しいと思いました。しかし、値段が高かったので買うのを止めました。
 そこで問題です。これからも、Aさんが安定した生活が続けられるためには次のどれが必要ですか?


1.とても気に入ったので買う。
2.生活に必要ではないので買うのを我慢し、その代り、万が一の将来のために貯金する。






<答え> 1

 「えっ、ウソ?」と思われる人も多分いると思います。なぜか。その理由をこれから説明します。

 手作りの優良な物を作るには手間暇とコストがかかるので、職人は安売りはできません。Aさんが優良な工芸品が高いので買わないというのであれば、それを作る職人の仕事は必要でなくなります。 

 そのようなAさんは、きっと現在使用している生活必需品が老朽化したときにも、替わりの生活必需品を購入しようとする場合、その欲求の質は「必要だから買う」という欲求であって、決して「欲しいから買う」と積極的な欲求ではありません。Aさんの欲求の根拠として「必要性」が基本にあって、それ以上の「自分の満足」のためというものではありません。
  Aさんの欲求がこのように「必要だから欲しい」という性格のものだけで生活をするのであれば、そのうちに、必要性がなくなれば消費もなくなります。一般にモノが生産されるためには、消費者の「必要だから買う」という欲求と「欲しいから買う」という欲求に対応しています。もし人々から後者の欲求がなくなれば、生産は「必要だから買う」ということに対応してのみ行われることになります。

 でも、もし、「必要だから買う」というだけのAさんが、生活必需品が充分にあって、もうこれ以上必要でない状態であれば「必要でないから買わない」ということになります。Aさんはこの時点で何も購入しなくなります。

 消費がなくなれば生産はされません。そして、生産のための仕事が必要でなくなります。仕事がなくなればお金を使う余裕もなくなり、消費そのものが減退し、それにあわせて更に生産が少なくなります。いわゆるデフレスパイラルという不況に陥ります。

 消費は減り、そして生産も減り、失業が増え、様々な社会問題が生まれます。
 給与がカットされたり、解雇されたりすると支払う税金も減りますし、国の支出や投資などもできにくくなります。

 化粧品をぜいたく品と思う人は消費を控えるので、化粧品を生産・販売しているAさんの収入も減ることになるでしょう。そしてついには自らの仕事もなくなってしまえば、Aさんは最初は買おうと思えば買えたはずの手作りの優良な製品どころか、もっと身近な生活必需品も思うように買うこともできないようになるでしょう。

 Aさんが、化粧品の仕事がなくなり、身近な品物を買うことも控えるようになると、ますます社会の生産が減少する状況の中で、国や企業は人々が食べていけるための消費と生産を意識的に拡大させる積極的な政策をとり、雇用を創造しようとするでしょう。(もはや健康や環境に大きな問題を残したこれまでの大量生産・大量消費のやり方が通用しないことは明らかです。)

 まず、企業に関していえば、企業は人々が欲しいと思うような新製品を開発する道を探るでしょう。しかし、この道は少し手間暇がかかります。新しい製品を作るのに時間がかかりますし、それを消費者に示し、実際に消費者が欲しいと思わせ、購入させることにも時間がかかります。

 他方、国は税収の減少による予算不足にもかかわらず、効果的な対策をとって、人々が1日でも早く、安心して人々が食べていけるようにしなければなりません。このAさんのような人がたくさんいる時においてさえも、Aさん達が生きていけるようにすることが政府の責任であると判断した上で、また、政治家も人々の欲求に応えるようにしなければ選挙で票をもらうことができませんので、積極的な対応を図るようにするでしょう。

 一体、国はどのような政策をとることになるのでしょうか。

 この辺から、徐々に否応なしに混乱を助長するような不穏な空気が漂い始めます。

 まず、国家のその場しのぎの対策が生まれます。

 政府としては、人々が食べていけるために、まず、人々に仕事と生産活動の場を与え、生活ができるようにしてやらなければなりません。Aさんに給料がもらえるような仕事場を早く作ってやる必要があります。もはや、社会には生活必需品は余っている状態であり、また、ぜいたく品は欲しいという欲求がないので作れません。人々が食べていくためには、仕事をさせるために生活必需品でないものやぜいたく品ではない物を作って、どうにかして消費と生産の循環を維持していくことしか方法はありません。そのために、国や企業もAさん達が消費しなくとも、どこかで誰かが常に消費を続けることができる市場をみつけて、モノを生産することで循環を維持することになります。
 そして、政府の国家運営上の責任としては、どうしても消費を増やして物価を一定程度上昇させることが必要になります。例えば、日本が外国と比較してインフレ率が低い時には、その分、相対的に円の購買力が高くなり円高になることで、輸出企業の多い日本のような国では国民が強い日本円で外国製品がより多く買えるので外国からの日本の輸入が増えますが、逆にインフレ率が高いと為替を円高から円安になり、結果、日本からの外国への輸出が増えて貿易を黒字にすることが容易になり、景気を上昇させることにもなります。また、インフレによって国の実質債務も減少し、年金等の公的負担を減らすことにもつながります。
 しかし、政府がさまざまな手を打っても消費が伸びなければ如何ともし難くなります。
 そのような行き詰まり状況の中で生まれやすい仕事は何か。それは、破壊という消費を意図的に行い、再度生産し、そしてまた、破壊して消費するような循環ができるようなビジネスです。いわば戦争関連のビジネスです。人間の本能的な恐怖と不安と防衛という循環を際限なく拡大させていくことで、消費と生産と破壊の輪廻の中で生きていくということになります。この分野の経済循環では一般の平和な市場の中で消費者の消費欲が生まれるのを気長に待つ必要がなく、どこかで紛争や争いがあれば消費と生産が継続されます。そして、その戦争関連産業は特定の地域・社会や人々の犠牲を作り出すことで大きな利益を得ることになります。これまでの混乱と混沌の社会の歴史をみれば、基本的にこのような経済的な状況の展開によって、人々や政治家、そして政府や企業はこのような経済循環を蔓延させてきたのです。そして今後も同じようにこの矛盾の渦の中から抜け出ることができずにいくとすれば誠に不幸なことです。皮肉にも、人々は望まない戦争や混乱の原因を自らが多かれ少なかれ背負い続けているということになります。

 そこで、きっと、Aさんが自らの選択、つまり「生活に必要ではないので買うのを我慢して将来の万が一のために貯金する。」という結果がこのような矛盾を生み出すことを事前に判断できていればAさんの良心による選択は異なっていたかもしれません。ゆとりのあるAさんは将来の生活を安定させ、混乱を起こさないようするためには、「手作りの優良な製品や高度の文化的なサービスは必ずしも必要ではないが、とても気に入ったので買う」ことが適切だったのです。
 Aさんのその判断と行動を促すエネルギーは積極的に「欲しい」という欲求が核となっています。しかし、現実には多くの人がそのような「欲しいから買う」という行動に出るということはないでしょう。欲しいけど我慢することを選ぶ人も多いはずです。
 では、どうすれば「買う」という行動が生まれるのでしょうか?それは、まず、一つは、この悪の循環を蔓延させる原因が自分の消極的な欲求にあるということを理解しておくことが大事です。それを、知識として判断できることが行動を生み出すエネルギーとなります。そして、あと一つは、その人の生き方と生活への質のこだわりを強く持っていることです。生活の中で趣味や興味などを通して自然と湧きあがる欲求が行動を生み出す力となります。

 意外と思う方がおられると思いますが、それが事実なのです。Aさんが「欲しいから買う」という欲求が生まれることにより消費と生産が伴えば、無理やり政府や企業が混乱と破壊を伴うような戦争ビジネスに流れてしまうことにはなりにくいのです。また、Aさんの「欲しいから買う」という欲求が仕事を軍需産業化することから遠ざけることにもなります。そして、既に軍需産業化している企業も徐々に平和産業的な性格を持つように変化していくことになるでしょう。(微力な多くの人々が豊かな社会を実現しようと努力するときにこそ、大きな力を持つ金融や産業もこのような人々の努力に報いることを積極的に行うことが大事です。歴史の中で起こった大きな戦争等の不幸はそのような努力が足りないことが大きな原因でもあります。)

 Aさんは、金銭的な余裕があれば、誇りをもって「欲しい優良な物を買うこと」が大事なのです。
 必要ではなくとも、欲しいから買う、という気持ちを持つことが将来の社会を安定させ、紛争や戦争を遠ざけることになるのです。
 欲しいから買いたいという強い欲求を持って生活することは自らがこだわりのある消費者であるとともに、こだわりのある生産者でもあるということです。欲しいという欲求は人の能力を付加価値の高い質的な創造的なものとし、文化産業が活性化していくことにもなります。そのような意識は個性的な地域ごとに成熟していくことが自然です。そのような地域が豊かになることによって社会が安定化していくことになります。そして最終的な目的である「自分自身」が豊かな生活をすることにつながっていくのです。
 そのためにも、Aさんは欲しい優良な物を実際に買うには資金があることが求められるのです。だから、Aさん自らが生産・販売者として付加価値のある優良な化粧品を生産・販売することを通して、豊かなゆとりある生活ができるようにすることが必要なのです。

 安定した循環が生まれるために必要なことは、優良な品やサービスを「欲しいから買う」という意識にまで昇華させ、実際に買うことが必要です。そのためにも、仕事をして、お金を貯めて、買えるような余裕が必要です。
 さて、ここで更に考えなければならない大事なことは、経済的・社会的には安定して食べていくことができても、それに加えて、精神的・文化的にも幸せにならなければならないということです。それが本当の「ゆとりのある生活」ということになるでしょう。

 それでは、そのような「ゆとりのある生活」とは一体どのような生活なのか、また、その「ゆとりのある生活」を実現させるためには私たちは一体どのような生き方をすればいいのをこのブログを通して考えてみたいと思います。
 これからブログに掲載する内容は、その「ゆとりのある生活」を実現させるための条件として、次の諸点をあげています。
 ①楽しく生きる思いを強くし、それを実現するためにも②自分の個性を磨く勉強して、③社会的な教養を得て、それが仕事につながって④楽しく働くこと、そして、⑤優良な物やサービスを消費し味わうことを通して生活をすること、それが社会的な付加価値を増加させ、いろんな⑥社会的な問題を解決することにもなるということです。更に、⑦物質的な豊かさを追求することも精神的・文化的な豊かさに裏打ちされたものであること、また、社会の物質量に制限がある以上、そのような豊かな生活とは最終的には⑦「物は質素に、そして、精神的・文化的には豊かに」という普遍的な結論に到達するということです。

 以上の事柄に関して様々な角度からブログを書いていきたいと思います。今後、月に4度ほどの頻度で追加掲載をする予定です。どうぞご一緒に考えて頂き、ご意見なども賜れば幸いです。

※注意
 以上のストーリーは、社会も一般にゆとりがある状態を前提にしています。そうでない、生活必需品さえ不足しているような発展途上の社会では生活必需品を確保する必要のために、全く異なるストーリーが展開する余地があると考えられます。

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