久留米大学特任教授 古賀幸久 の考える、これからの生き方論。
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教養とは何か

#32 2021年8月27日


約1年ぶりにブログを再開します。

今回は「教養とは何か」というテーマで考えてみます。

「自然的」感性と「認識的」感性の関係

 教養を高めるには「感性」が重要です。感性には「自然的」なものと「認識的」なものがあります。前者は五感を含み、人間のみならず他のあらゆる生物も同様な「自然的」な感性を持ちあわせています。それは生命を維持するためには必要不可欠なものであり、自分の意志や認識では創造できない自然界のあらゆる生物にも与えられているものです。これに対して、後者は合理的・科学的な論理的思考として社会生活においては欠かせないものであり、コミュニケーションの内容を根拠づけるためにも人間が最も頼りとする部分です。

「自然」と「認識」のバランス

 最近の社会ではありのままの自然から離れた生活を余儀なくされていることが多くなってきています。これが人の「自然的」な感性を鈍化させています。そして、それと反比例して、科学や技術の進歩によって人の「認識的」な感性力が発展し、合理的・論理的・理性的な思考が支配的になってきています。「自然的」なものと「認識的」なものの感性のバランスが失われることで、自然の中で生きる人としての重要な本質が見失われることが大いに危惧されます。人の「自然的」な感性が鈍くなる結果、人の思考は科学的・論理的・理性的な方向に偏った見方をする傾向が強くなります。科学や技術が発展すればするほどその傾向は強まります。

現代社会の問題と将来の課題

 肌を通した痛みの感覚が無くなれば、相手の肌の痛みを感じる「認識」も鈍くなります。「自然的」な「痛み」の感性は「認識的」な共感の感性に働きかけて行動に結びつけられます。人の存在も自然の一部であれば、「自然的」であることと「認識的」であることは常にバランスよく連携しあうことが自然なことです。もし、人の「感性」と「認識」が引き離され、一方だけが進化したり、退化したりすれば、人は極めて動物的な本能に偏って動いたり、あるいは、心の冷たい機械的な人間になったりすることでしょう。
 人間の生き方における現代の重要な問題は、「自然的」な感性が後退していることです。今後も人間の「自然的」な感性が蔑ろにされ、合理性や論理性、科学性が経済的合理性に結びついて判断される傾向が続けば、将来の人類に大きな問題と課題を残します。
 いま、私たちに求められているのは、科学的発展に付随して進化を続ける「認識的」感性のレベルとバランスを取り戻していくための「自然的」感性を高める生き方です。それは、最も身近な自然の一部である自分自身の「自然的」感性に向き合い、命が自然の中で育まれ、生かされていることを感じながら自然に感謝して生きることです。そのためにも、私たちは常に自然の中に身を委ね、自然の音色を探り、五感全てで体感・消化して自分の「自然的」な感性を磨き上げていくことが大事です。

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