久留米大学特任教授 古賀幸久 の考える、これからの生き方論。
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良く生きる

#29 2020年7月13日


 人は誰しも自分らしく良く生きたいと願います。また、“家族みんな生きがいをもって愉しく仲良く暮らしたい”、“戦争や混乱のない平和な社会で生きたい”、“芸術や文化を自由に愉しんで生活したい”と願う純粋な思いがあります。私達一人一人が背負っている様々な問題や課題の中にあっても、生きがいのある愉しい生活ができるためには、健康で、やりがいのある仕事をして、安心感のある生き方を探っていくしかありません。

当たり前の欲求の実現のために

 生きがいのある生き方は、私達が普段に感じる、愉しいワクワク感、やりがいに満ちた充実感、心が落ち着く安心感などに満たされてもいます。好きなスポーツをする時、好きな趣味に夢中になる時など、誰しもそのようなことを感じた経験はあることでしょう。自分らしい生きがいがあり、熱中できるものがあれば、生きる質と内容が充実します。その充実感が生まれる現在の瞬間は、時空の中で連続性を持ち、過去と未来に繋がります。
 将来のために今を犠牲にしてもよい、というようなことを聞くことがあります。それは大変聞こえは良いのですが不自然です。今の瞬間に感じる豊かな思いがあってこそ、その鼓動が時の琴線に響いて未来を創造します。豊かさとは犠牲を伴うものではありません。豊かさとは人の願いに応じて未来に繋げるものです。今、この瞬間に鼓動する豊かさに磨きをかけ、より良く輝く豊かさを創造するところに生きがいのある愉しい生き方があります。ワクワク感が生まれた瞬間の心の躍動感を思い出して喜び、また、将来に夢を抱けます。今の瞬間を豊かに過ごすことで過去への感謝の念も生まれます。私たちは、そうやって、今この瞬間を豊かに良く生きていくことが大事です。

心と自然と科学

 人間の能力や科学は自然の偉大さの前には殆ど無力です。言い換えれば、自然の摂理のほんの一部しか表現し得ていない、ということです。しかし、近代の発展は科学至上主義的な傾向に流れ、人間の有限な知識と知恵に教条主義的なまでに依存してきました。それは人の善悪の判断の基準とする思考にも深く浸透し、人間の側からみた科学的合理性によって受け入れるものと、それ以外のものを排除する傾向も生み出しました。更には、命や健康の基準が、効率性と企業的採算性を組み込んだ科学的合理性を基に判断され、正当化されていく傾向を生み出してきました。自然の偉大さや尊さへ鈍感になるとともに、人の良心や命の尊さについての認識も希薄になり、あわせて、人間の欲望本位に則した発展が独り歩きをするようになりました。科学の発展は、皮肉にも、私たちの節操のないエゴイスティックな欲求に対しては敏感に呼応し、その結果、如何様にも悪用され、社会の様々な不幸な問題も生みだしてきました。
 これからの発展は、このような特徴を持つ過去への反省を盤石の足場として、私たちの日常の“自然で当たり前の思い”と生き方に寄り添いながら、しっかりと歩んでいかなければなりません。そのためには、まずは一個人が主導的な役割を果たしていくことが必要です。それは、一人一人が良いものを創り、消費し、生きがいのある生活するための“自然で当たり前の思い”の実現を願い、偉大な自然に抱かれて生きること、生かされることに感謝しながら、毎日を愉しく良く生きることを実践することです。

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