久留米大学特任教授 古賀幸久 の考える、これからの生き方論。
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次世代への責任

#28 2020年6月2日

子や孫のために優しいことを

 誰しも、楽しく生きがいのある生き方をしたいと願います。しかし、そのためには働かなければいけません。働くことは大変ではあるけれども、生きるためには必要なことです。また、生きていくためにも必要な社会的責任も果たしていかねばなりません。それは自分のため、そして、こどもや孫、将来の世代のためでもあります。
 “おとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばちゃんが良いものを残してくれて嬉しい”と、子どもや孫に喜んでもらいたい気持ちがあれば、一段とやりがいや充実感が生まれます。今だけがよければ、とか、自分だけがよければ、というエゴイスティックな気持ちが社会に蔓延すれば、自分も社会も貧弱になり、次世代の人々や社会に大きな負担を残します。そして、遅かれ早かれ人類は自滅するか、社会的な破局を迎えることになります。

自分の好きなことに熱中する

 平和で豊かな社会を築くためには欠かせない、二つの心がけるべきことがあります。一つ目は「趣味や興味を持って、自分の好きなことに熱中して生活をする」ことです。そして、二つ目は、「やりがいを持って楽しく仕事をしながら生きる」ことです。これは人としての自然な欲求であり、これらの自然な欲求の実現のためには、人一倍の努力や多大な苦労も伴います。それゆえ、好きなことは創造性の高い豊かな付加価値を生み出します。
 生きることの興味と楽しさ、やりがいと喜びのエネルギーから生まれる創造力や、ありのままの価値を味わい楽しめる感性は、あらゆる社会的な進歩や改革のための基盤となります。また、そうであれば、同時に、進歩や改革は、個性的な創造力を表現・実践させるための支えとなり、生活と社会と自然を豊かに循環させる軸となるでしょう。つまり、これからの社会の進むべき道は、人がより好きなことを深く広く楽しみ、命と健康を尊重し、あらゆる生命が豊かに共存し、自然、経済、社会が無理なく循環できるための方向を示すものでなければなりません。

「当たり前の欲求」のバランス

 自分の好きなように生きることは贅沢なことではなく、実は当たり前な欲求であり、生物的な本能でもあります。それを当たり前として生きる希望を持てるような社会環境に恵まれていることは幸せなことでもあります。私達が安心して豊かに生きられる社会であるための条件は、社会の節度のある豊かな“消費”と“生産”のバランスの上でスムーズな生活の循環がなされることです。様々な原因によって消費と生産は不足と過剰の相関関係で流動し、そのバランスが崩れた時に問題がおこります。インレーションや公害・環境破壊、失業と不況、格差、戦争等の多様な諸問題は、私達一人一人が常に背負い続けてきたものです。これらの諸問題が行き過ぎることなく、常時、一定のところで軌道修正が可能になるようにすることが求められます。

生き方の吟味と修正

 これまでの生活が生み出した諸問題の根本原因は、一人一人の欲求の在り方(量的強欲さ)と、質のレベル(質的貧弱さ)の問題でもありました。強欲さにより大量に生産・消費・破壊を繰り返し、貧弱さによって格差・混乱・排除と差別を生み出しました。これからの社会においては、欲求の質・量を方向づける生き方を自ら吟味し、修正を図ることが必要です。その中で、質の高い技術革新や文化的・芸術的な感性と意識を融合させながら、それぞれの個性的な能力と魅力に一層の磨きと輝きを持たせ、より良い循環につなげていくことが必要です。

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