久留米大学特任教授 古賀幸久 の考える、これからの生き方論。
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「清貧な生き方」の本質

#25 2020年3月14日


 「清貧な生き方」を育むエネルギーの源は「食べられること、健康であること、家族や友という仲間がいること、社会があること、そして、自然の中であらゆる命が生かされ・生きていること」などの事実からなります。この事実に抱かれながら、好きなことに夢中になって充実した生活を「感謝」しながら送れることが「清貧な生き方」の本質です。

「戒めと奨励」としてイメージされる「清貧さ」

 現代は、生産性を高め、高い経済効果を得て、贅沢な生活を送ることに囚われています。いま私たちにとって大事なことは「これまでのような際限のない利己的な生き方が続けば、人や社会と自然に取り返しのつかない大きな混乱をもたらす」という待ったなしの危機意識と同時に、「積極的に自己の夢や思いを実現したい」と願う主体的な生存意識を覚醒させることです。そのような状況において、「清貧さ」という概念は、生きていくために、人が利己欲を持ち過ぎることに対する「戒めの概念」として、また、常に精神的に豊かに生きる「奨励の概念」として認識することができます。自らを戒め、かつ豊かに生きることを通して、「清貧さ」に通じる幸せを感じることができます。

「清貧さ」と「豊かさ」の関係

 「清貧さ」の意味を感じるには、「豊かさ」との関係について理解することが必要です。
 「豊かさ」には主に物質面での豊かさと文化・精神面での豊かさがあります。人はお金や物を所有し利用することによって何等かの豊かさを感じます。例えば、お金のある満足も所有欲が満たされた豊かさです。しかし、そのまま所有しているだけでは単なる紙切れにしかすぎず、それ以上の豊かさを創造しません。でも、お金で例えば名画を購入すれば様々な質の豊かさを創造してくれます。
 もし、購入の動機が単なる利得や投機のためだけであるならば、名画の価値はお金の量で測られる価値になります。でも、購入の動機が、名画を手元において日常生活の中で観賞し、その名画が醸し出す作家の魂や心を味わい楽しむためであれば、文化的な「豊かさ」を創造することができます。雰囲気を味わい、一緒に語り合える伴侶や仲間と感想や意見を交換しあい、会話を楽しみ、名画を囲んで共に食事をし、喜びを共有しながら贅沢な時間も過ごせます。
 好きなことを掘り下げて楽しめれば、様々な質の高い「豊かさ」を生み出すことが出来ます。この場合の「豊かさ」は、「所有欲」や「損得勘定」を超越して、「好きであること」や「生きていること」の「喜び」からなる「やすらかな気持ち」です。「清貧さ」はこのような「豊かさの体験」を通して感じられる幸せや喜びです。

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