久留米大学特任教授 古賀幸久 の考える、これからの生き方論。
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豊かな循環社会になるための具体的な条件

#23 2020年2月6日


 前回のブログでは、人々が循環的に豊かに生きるための方法として、一つは、「物の質」を高めること、そして、あと一つは「文化的・精神的な欲求」を高揚させることであると述べました。ここではその点について少し具体的に述べます。

「趣味や興味」を広げて掘り下げる

 一般に、趣味や興味に対するこだわりの低さは、物やサービスの「質」や「量」においても無関心です。それは、質の低さや量の多さにも無頓着であり続けることです。そのような状態が続けば、人々の生活を貧弱にし、社会の問題を大きくし、課題を深刻化させていきます。
 豊かに生活していくためには生活必需品である物質の豊かさと、生きるための心構えである精神の豊かさが求められます。物質や精神が豊かになれは、生き甲斐と、生きる喜びが高まります。それは結局、趣味や興味の広さと深さに繋がります。「趣味や興味」を広く深く創造し、高めることは、好きなことを見つけて、行動し、更に深く掘り下げて楽しみたいという意識によって生まれます。その意識は自分の好きな気に入ったものを長く楽しく味わいたいという強い思いに支えられます。生きがいのある、豊かな充実感に溢れたそのような生き方は、必然的に健康や環境にも優しく、自然と無理なく調和し、量的には簡素であり、質素ではあっても、志は高く豊かなものになります。そのような人々が多くなれば、自ずと様々な社会的な問題に対処し、課題に真正面から取り組もうとする姿勢が育まれ、行動が生まれます。豊かな社会となるためのスムーズ循環を生み出す社会基盤はそこから生まれます。

「質素ではあるが豊かに生きる」ということ

 「質素ではあるが豊かに生きる」という思いは、「とにかく生きていければそれでよい(生活するに最低限のものさえあればそれでよい)」とする願いとは異なります。
 後者は、基本的な命と健康、生存を維持するための最低限の願いです。つまり、適切な食料や水、居住環境、衣服などの基本的な物資が不足している社会、あるいは生きることそのものが困難なほど混乱・崩壊した社会において生存のために求められる必然的な気持ちです。そのような社会においては、まずは生きていけることが大事です。ここでは、人々が前者のような積極的な夢を抱くことはできても、一気にそれを実現させる生き方を一般に求めるには無理があります。まずは、積極的な夢を抱けるような前提条件である生存を確保することが大事であるということです。
 これに対して、前者は「質素」な生活の中にあっても、文化的に「豊か」に生きる積極的な生き方です。つまり、健康的に安全に生きていける条件が満たされている状況の中にあっては、趣味や興味を一層に広げ、深めて、文化的に充実した楽しい時間を過ごせるようにすることが循環をスムーズにするために求められます。そこでは、人々が積極的な夢を抱き、それを自己実現できる喜びと幸せが持続しやすくなります。物質的に成熟した社会において求められるのはこのような積極的に豊かに生きる願いを具体的に実現させようとする生き方です。誰しも望む自然な願いであり、決して我儘ではなく、これからの社会をうまく循環させるためにも必ず求められることです。

豊かな清貧さとは

 人々には生きることで様々な思いや欲望が生まれることは自然であり本能です。それを阻止することはできません。一般的にいわれる「贅沢はダメ」という考えがあります。人によっては贅沢をしてはいけない人もいます。そのような贅沢とは自分や社会にとって望ましくない贅沢の部類です。しかし、自分や社会にとって望ましい贅沢もあります。それを一般的にダメとするならば、スムーズな社会的循環を作ることもできず、スムーズな循環が滞ることにもなります。豊かな社会的循環を可能にするためには、一般的な人々の心に本能的に産まれる自然な感情に真正面に向き合いながら、自分や社会にとって望ましい贅沢を求め続けられる「豊かな清貧さ」であることが望まれます。それ故、無理なく「趣味や興味」を広げ、深く掘り下げて、楽しく豊かに生きるための勉強と仕事をする高い志が求められます。そして、積極的に生きる志の高さを継続するためには、豊かで質素に生きる清貧さを維持していくことが条件になってきます。その理由を次のブログで説明します。

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