久留米大学特任教授 古賀幸久 の考える、これからの生き方論。
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異文化理解と交流

#18 2019年11月6日


 異文化を理解することは自分を理解すること同様に大変難しいことです。実は、“自分を理解する”ということと“他人を理解する”ということは一つのことです。“理解する”ということ自体が、実は無理なことであって、むしろ”感じられる“とか”共感する“という感覚です。他と比較してみて初めて自分の個性を感じ取ることができます。また、そのような自分からみて他人の個性も感じることができます。異文化を理解することや、自分を理解するということは、大体のところそのようなものです。

異文化理解の基本

 異文化を理解しようと無理に頑張るのではなく、むしろ、わからないままの異文化を尊重することが大事です。無理に分かろうとする思いの強さが、場合によっては、相手に対しても同様の努力を求めることにもなります。時には、勘違いして、“相手を理解した”、と思い込むこともあります。このことが互いに不幸をもたらす結果になります。“相手のことを理解してやっているのに、相手はそれを理解してくれずに、逆に、こちらの非を責めてくるのは誠に残念だ“というような恨みの気持ちが出てくる場合は要注意です。相手のことをそのまま認めて尊重することが相手にとっても望ましいことです。同様に、相手からも自分の大事な物をそのまま認めて尊重してくれることが嬉しいことです。相手に一つでも良いものがあれば、それを褒めて、尊重してくれることが幸せな関係を作っていきます。自分の信念や正義を相手に押し付けず、余計なお節介をやかないことが大事です。相手の気持ちを尊重して大事にしていく親切心、そして暖かく見守る優しさが必要なのです。

異文化との接触の仕方

 さて、そのような異文化と接触し、交流し、話し合う場合にはどのようなやり方が望ましいでしょうか。
 「己を知り、相手を知る」ということが言われます。
 他と交流する際には自己の大切なものについての強い認識と思いが必要です。交流の場はその認識と思いを他人に伝える場でもあります。そして、その伝え方の技術が要求される場です。もしその伝える内容がその人の思いを反映していないと感じられるなら、まともな交流はできにくくなります。本気で交流したい意思がそこに見えないからです。互いに相手の本気度が感じられない交流では相互の心が共感することは不可能です。
 次に、相手の欲するところを知ることが必要不可欠です。相手の気持ちを知らないと、交流は成立しません。相手が何を望んでいるのか、相手の大事なものは何かなど、相手の本音を知っておくことや、聞き出すことが必要です。
 交流を通して自分と相手の大事なものを尊重し、尊重されながら共感できる心が生まれます。何らかの政治的な圧力が背景にある時などは、そのような基本的な交流の筋道から外れてしまうことがあります。文化的な暴力が無言の圧力として生まれ、それを受け入れざるを得ない場合もあります。特に、社会的な課題や問題に対して正面から解決しようとする姿勢が希薄な場合は大いに問題です。直面する社会的問題や課題に対してお互いが真面目に取り組もうとする思いと、それを伝える技術を磨いていくことも同様に大事なことです。

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