久留米大学特任教授 古賀幸久 の考える、これからの生き方論。
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心・知識・お金・教育

#17 2019年10月16日

心とお金と実践

 「有言実行」とは「思い」と「実践」が一体となることをいいます。「実践」にはいろんな意味があります。体が動くことだけが実践力ではありません。たとえ体が動かなくても、心の芯が常に機能し、社会との関わりの中で生きていれば、心で体やお金を使うことができます。「お金は心である」ということを誰かが言っていたことを思い出します。体やお金をどのように使うかを決めるのは個人の感性と力量の源である心です。

お金の使い方

 お金は生活のために必要なことはいうまでもありませんが、それ以外に、お金の良い使い方とは社会にいいものが生み出される使い方です。それは、人々から喜ばれ、幸せを生み出してくれるものです。社会が喜ぶ幸せとは、自分の健康や命を大事にし、かつ大切にされる幸せ、他の命を敬う幸せ、助け合う幸せなどともいえるでしょう。精神的な自由と平和、物質的な衣食住と資金の安定、文化的な教育と生活の豊かさに資することが大事です。
 そのためには社会的な問題や課題に関する知識や教養が必要です。寄付する場合でも、いいかげんな寄付の仕方は害を生むことになるでしょう。どのような団体や人に寄付すると、どのような課題に対処することが出来るのかをきちんと見極めることが必要です。また、どのような消費をするとどのような波及効果があるのかを理解していることも大事です。安物をたくさん買えばいいというものではありません。いいものを買っていい人や社会を育てることが大事です。当然いいものを選ぶ知識と教養が求められます。

知識の使い方

 知識を社会が幸せになることに使うのが芯の通った使い方です。社会が不幸になるような使い方は翻って自分を不幸にします。社会的課題が山積しているのですから、知識欲だけの肥満的知識は自己満足で終わってしまいます。大事なことは、自分の趣味や興味を軸に、才能ある個性的な能力を伸ばし、それを通して仕事につなげ、そして、仕事を通して社会的課題の解決につなげるようにすることが必要です。知識に心の芯を通すということは、自分が社会の中で生き、そして生かされていくことを考え、実践していくために物事をうまく知的に会得するということです。

やってはいけない教育、やるべき教育

 教育が競争の原理を利用して理不尽な不公平さを助長するのであれば、それは教育の本質からはずれています。教育での競争原理が経済における市場原理と同じように働けば、それは個人のユニークな個性が経済的な強者の市場原理の基準により利用されることにもなります。場合によっては安くたたかれてしまい、ユニークな個性が破壊されます。
 教育における競争が意味を持つのは、ユニークさという個性的能力を引き出すことにおいてなされるべきです。個人のユニークさを育て上けるべき教育であるべきなのに、知識を競うだけの競争原理が持ち込まれれば、個性は単なる知的競争の渦に飲み込まれ、精神的、文化的な横暴さが個人の個性を蝕みます。
 個人の個性的な能力はどんな人であっても必ず存在意義があります。どのような障害があろうと、その人のユニークな能力は他とは比較できないものです。たとえ、そのような個性が表面化しない人であっても、存在することそのものによって大きな社会的な意味を与えてくれています。その人がいることで、たくさんの人々が支援の手を差しのべる機会を与えられてもいます。また、そのような人がいるから、社会がその人の個性的能力や存在を生かすような仕組みを作り上げることが必要なのです。
 教育の課題は、一人一人の個性に向き合う自覚を促し、良い個性を磨かせることであり、同時に、社会的問題や課題に向き合わせるための知識とお金の使い方を自覚・実践させることです。

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