久留米大学特任教授 古賀幸久 の考える、これからの生き方論。
  1. ホーム
  2. >
  3. 古賀ブログ
  4. >
  5. ブログ#12

教育の本質、「気づく」ということ

#12 2019年8月6日

「気づく」ための情熱

 何かをやりたいと思い、行動するときには、そこには何らかの「気づき」があり、積極的な心が伴っています。心が伴うための「気づき」は自ら起こる場合もあれば、他人から気づかせてもらう場合もあります。「気づき」は喜びを生み、行動を起こさせる原点です。
 「気づき」とは心の内から生まれるエネルギーです。「そうありたい」という願望や、「どうしたらいいいのか」という疑問がある時に得られた「発見」や「ひらめき」ともいえるものです。心の中の何らかの思いの強さがエネルギーとなっています。その思いのエネルギーはそれまで生きてきた環境の中からの経験を通して生まれてきます。
 モヤモヤした迷いの中で生きることは誰しも必ず通らなければならない道のりです。それは、「何をすればいいのかわからない」迷いであり、「どのような生き方をすればいいのかわからない」心の不安定な状態です。だからこそその中で、自ら「こうしたい」、また「こうありたい」と願う情熱を芽生えさせ、育んでいくための大切な道のりでもあります。

現状に安住することの将来への無責任さ

 現代社会の大きな問題は、自ら「こうしたい」、「こうありたい」という願望や情熱が希薄になってきているということです。つまり、生活が普通にできれば、何も苦労までして、自ら「こうしたい」とか、「こうありたい」という情熱を抱くべき意味を感じないというわけです。一見、それは理屈が通るようにも感じます。でも、それは大きな誤りです。
 生活に必要なあらゆるモノやサービスは、他人や社会があってこそ得ることができます。着る服、住む家、食べる食材など、生きるために必要なものは多くの人々によって生み出されています。自分もその中の一人として生き、そして生かされています。人々はお互いに助け合って生きています。自分一人だけでは生活を送ることはできないのです。もし、誰もが、特段不自由も感じないからといって、自分が生かしてもらっている他人や社会のことも考えずに生活していけばどういうことになるでしょうか。何らの社会的な役割や関係も持つこともなく、また、感謝することもなく、自分だけの現状の世界に安住していくことは、そのうちに、社会全体に悪影響を与え、社会の機能が不全となり、その結果、自分の生活そのものを維持することができなくなってしまいます。
 「何をすればいいのかわからない」状態や、「どのような生き方をすればいいのかわからいない」状態が一般化すれば、人の個性や能力が生かされず、他人や社会との関係や繋がりも希薄になり、経済活動や文化活動も停滞し、社会不安も助長され、ついには混乱や紛争の大きな原因となっていきます。
 常に社会は否応なく変化しています。その過程で、何らかの問題を生み、将来に課題を残していきます。その中で、「何をすればいいのかわからない、どのような生き方をすればいいのかわからいない」という状態、そして、現状に甘んじている状況は、これまで生み出してきた問題や課題を先送りし、これからの社会に不安と混乱をもたらしていきます。たとえ悪意がなくても、無意識のうちに、自分が、また自分の世代がよければそれでいい、というような独りよがりの無責任な選択をすることになってしまいます。その結果、将来の自分や次の世代に大きな負担を遺していきます。そして、その責任を他人や社会のせいにして不平不満を述べ続けることになります。

教育における「気づき」を促す対象とは「自分らしい個性の自覚」

 教育の最も大事な役割は、自ら「こうしたい」、心から「こうありたい」と「気づく」ためのきっかけを作ってやることです。いわば、自分らしい個性を自覚させ、その個性を社会的に表現させ、実践させることです。そして、そこで本人が「楽しみや喜び」を感じる機会を与えてやることです。
 そのための有効な方法はいくつかあると思います。まずは、「気づく」ためのエネルギーともなる基本的な要素、すなわち、人それぞれの日常生活において、人としてやるべき当たり前のことをやり続けていけるようにすることです。つまり、日常の自己管理と生活管理ができるようにすること、社会との何らかの関係を持っていけるようにすること、また、目の前に接する人に心から誠実に対応できるようにすること、などです。
 同時に大事なことは、多様で有意義な情報を得るようにすることです。情報の中には、本来「趣味や興味」と全く関係ない情報から関係あるものまでありますが、いずれにしても有意義な情報への接触と知的・感覚的な刺激を与えることです。それによって、現状に安住し、満足しているような状況ではいけないということを認識することもできるでしょうし、また、より楽しい自己の生き方にも目覚める機会にもなるでしょう。
 教育の役割は、そのようないくつかの刺激を与え、また、社会との接触や外部からの刺激によって、徐々に自ら気づきと個性の輪郭を自覚できるようにしてやることが必要です。そして、徐々に表現され始めていく「個性」を尊重し、共感して応援する姿勢が必要です。

「気づき」を促すための有効な方法

 多様で有意義な情報を与えるといっても、どのような方法が効果的なやり方なのでしょうか。
 「気づく」ためには、まず、五感を通して「気づく」ことが最も自然なことであり、見て、聞いて、味わって、嗅いで、触ってみて、心が動かされていくことで「気づく」ことが一番自然なことです。ある瞬間に感動するときや、物事の変化の前後の違いに感心するときなど、「気づき」のきっかけになる機会はたくさんあります。その感動・感心力を高めさせるための環境を整えていくことを創意工夫することが教育の核となります。
 そのために最も大事な工夫の一つは、実際の現場に行って体験させ、そして自ら行動させることであり、また、その中で必然的に生じる肌感覚の優しい触れ合いを通したコミュニケーションです。
 でも、現場と言っても外国の場合などは簡単に行けないので、その時は、現場感覚で臨場感を持たせるように工夫することが大事です。私の大学のゼミの例でいうならば、まずは学生に臨場感を持たせた上で、それぞれの学生の趣味と興味を軸にした研究と発表をしてもらいます。例えば、「なんとなく海外旅行をして、面白い民族と楽しんで遊びたい」という学生には、「アフリカの特定の部族の社会を旅行し、できれば滞在してみればどうか」と質問と課題を投げかけます。そして、それを実現させるための創造力を働かせてもらい、独自のシューミレーションに基づく多様な勉強をしてもらいます。まず、「①基本的な知識として、その部族の中で生活するための歴史、文化、宗教、社会、性格、人間関係、国家との関係、問題と課題などを勉強すること、②勉強する心構えとして、それらの知識が将来の自分の行動や仕事とどのように関係していくのか、日本の国や地域の将来にとっての安全と安心や平和のためにどのような意義を持つのか、自分の生き方にとってどのような意義を持つことになるのか等をイメージして取り組むこと」などに重点をおいてもらいます。そして、自分の将来の楽しい旅行・嬉しい時間の過ごし方ができるように、独自の個性的な研究と発表をしてもらうように心がけています。それらの一連の場とプロセスの中で、本人が何らかの「気づき」をすることができることを願いながら、実は、私自身も多くの学生から常に何かを「気づかせてもらう」毎日を過ごしています。

▲ページ最上部に戻る