久留米大学特任教授 古賀幸久 の考える、これからの生き方論。
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「私」と「私らしさ」と「大切なもの」

#9 2019年7月10日

普通の自分

 人は誰でも自分自身のことを多かれ少なかれ意識します。その意識には二つの性質があります。
 一つは、自分自身との関係における意識です。つまり、自然体の自分はどんな自分か、という意識です(便宜上、それを「私」と表現します)。
 あと一つは、社会との関係における意識です。つまり、社会的な体裁や世間体を気にする自分です。本来の自分自身をどのように見せれば社会からどのように評価されるのか、あるいは社会からどう評価されたいがためにどのように自分を見せるのか、という気持ちが入り混じった意識です。(便宜上、それを「私らしさ」と表現します)。人には常にこれらの二つの「私」と「私らしさ」が混在します。

「私らしさ」と「他人の中の私」

 ところが、この「私」を軸に「私らしさ」が外部に対して表現された時、他人が評価する「私らしさ」は本来の自分が表現した「私らしさ」とはかけ離れた不自然な「私らしさ」に変質する場合があります(便宜上、それを「他人の中の私」と表現します。)。その結果、時には、「他人の中の私」の側に摺り合わせるように「私らしさ」を演じ過ぎることがあります。これは心を疲れさせます。

必然的に不自然な私

 「他人の中の私」の虚像が美しければ美しい程、「私」と「私らしさ」を見せにくくなるでしょう。
 「私らしさ」を表現する時に、他人には「他人の中の私」も同時進行的に生まれてきます。そして、その両者に差が生まれるのも必然です。
 「私」を「私らしく」出すということはとても難しいことです。なぜなら、誰でも「私」そのものが分かりにくいからです。人は誰でも、そのような「私」自身を掴み切れないまま「私らしさ」を表現せざるをえない状況にあります。その結果、どうしても「私らしさ」と「他人の中の私」に差が生れてしまいます。

「私らしさ」とは「大切なものをそのまま表現すること」

 「私」自身が分かりにくいとはいっても、人には誰にでも「大切なもの」があります。人の正直な本音は「自分が大切にしているものを大事にしていきたい、それを他人からも尊重されたい」ということです。人に共通する「私」の本音である「大切なもの」を「私らしさ」として表現し、伝えることができれば、少なくとも本質的な「私」や「私らしさ」と「他人の中の私」の間に差は生まれにくくなります。自分の大切なものを他人にも見てもらい、「私らしさ」として尊重してもらうことは、同時に他人の大切なものに共感し、それを尊重し、応援・協力することでもあります。

私の「大切にしているもの」

 私の「大切にしているもの」はたくさんあります。「様々な趣味、お酒、食事、楽しい友、友情、自分も社会も同時に喜べる生きがいのある仕事、家族、挑戦する思い、失敗と経験、冒険心、思いやり」等です。そして、最も大切なものは、それらを支えてくれる「健康と命」です。自由と尊厳を支えるこれらの大切な「私」と「私らしさ」を、このブログ等を通してこれからも表現していきたいと思います。

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