久留米大学特任教授 古賀幸久 の考える、これからの生き方論。
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幸せを感じる条件とは

#3 2019年5月19日

捨てて得るもの

 捨ててこそ得られるものがある“ということをたびたび聞きます。「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということもいわれます。現代は「断捨離」という言葉があります。
 なんでも物事が過ぎると問題が起こります。良いモノであっても、良い主張であっても行き過ぎれば上手くいかなくなります。“程ほどにやる“とは、もっとやれても、あるいは、やりたくても、無理はしないということです。そして、”やるべきことをきちんとやる“ことが良いものを得る、ということになります。

能力を伸ばす勉強

 人は誰でも自分の大事にしている趣味や興味を伸ばすことを願っています。それが人の本能として楽しく感じるからです。ところが、現代の情報社会では否応なしに大量の情報が入ってきます。また、教育や仕事の現場でもたくさんの知識が与えられます。現代は情報や知識があまりにも多くなりました。趣味や興味を形よく伸ばすには一定の距離をおいて意識して避けた方がいいものもたくさんあります。
 人の能力には限界があります。自分の好きなこと以外のことを無理してやろうとしてもなかなかうまくいきません。また、楽しくないのには生きがいも感じません。自分の好きなことをやることが、幸せを感じる原点です。自分の好きなことをやることは自分の幸せを願い、実現しようとすることです。そして、他人からもそれを尊重してもらうことで幸せを感じます。お互いに、大事なものを大切にし、そして、大切にされることが人や社会が豊かになる条件です。好きなことをやることで幸せを感じられる心が育つことが大切です。それは決して利己的なものではありません。

幸せを感じる心を育む

 好きなことをやることで幸せを感じるときは、生きがいを感じる時です。生きていること、生かされていることを実感する時であり、自分の願いや個性、健康や命を感じやすい時です。何かに感謝したいと思えるのはそういう瞬間です。
 ところが「好きなこと」が同時に「出来ること」であるのならいいのですが、「好きなこと」であっても能力が足りないことから「出来ないこと」も多々あります。その場合はどうすればよいのでしょうか。その場合はあきらめが肝心です。早急に見切りをつけて、他の「好きなこと」そして同時に「出来ること」を探していけばいいのです。
 また、反対に「好きでない」ことであっても、心がけ次第では出来るようになることも多いのです。嫌いな勉強の科目が出来るようになったら逆に好きになってしまったというような経験は誰でもよくあるはずです。
 いずれにしても、「好きなこと」が「できること」であれば最高に恵まれています。幸せな時とはそのような場合です。そのような自分の筋にあったもので、幸せの予感がするような場合には、他の様々なものを捨てていく勇気も生まれることでしょう。求める気持ちがあればこそ捨てられる気持ちも生まれます。
 幸せを感じられる条件とは、「好きなことをやる」ことであり、それは同時に「足りる」ということを知っていることです。また、「足りるを知る」ことは、同時に他を「捨てる」ことができる簡素な心の状態です。
 私は昨年から読書会(その日暮らしの会)に参加させて頂いています。今度の読書会での課題書である直木賞作家「葉室 麟(はむろりん)」の小説「橘花抄(きっかしょう)」の中に、『何かを守ろうとする者は、そのために捨てねばならぬものも多いのです。人からの誹りも甘んじて受ける覚悟がなければ、大切なものを守り通すことはできません。』と記されていました。みなさんもきっと同じことを感じた経験も多いと思います。

※小説には九州の最北部に広がる玄海灘の孤島「小呂島(おろのしま)」が決闘の島として描かれています。私の友人が小学校の教員として一時期赴任していた島で、偶然にも15年程前に私も友人を訪ねて滞在したことがあります。決闘の場所は散歩した小さな浜辺だと想像しました。女性の心理を絶妙に記した珠玉の文章の中にあって、壮絶な決闘のシーンも生き生きと描かれています。是非ご一読ください。

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